こんにちは!大地です!統合失調症歴13年目になります!
最近体調不良でブログをお休みしていたのですが、今日はぼちぼち書けそうなので書いてみることにしました!!
皆さん、リカバリーという言葉を知っている方は多いと思います。実は、病気の療養をするうえでナラティブという言葉もあるんです。ナラティブは日本語で物語という意味です。そして、リカバリーには臨床的リカバリーとパーソナル・リカバリーがあると以前記事で書きました。(見てみたい方はすぐ下に貼っておきますので、読んでみるといいかも!)
リカバリーとナラティブは共鳴しあっていて、病気というものを完全な敵だと認識するのではなく、自分の人生のストーリーの一つという認識をすることで、パーソナルリカバリーの向上ができると考えています!
例えばなんですけど、闘病生活って言葉はよく使われるじゃないですか。闘病生活の闘は戦うという意味がありますよね!統合失調症になったのは自分自身なのだから、闘病生活という言葉だと、自分自身を仮想的と仮定して、自分との戦いという事になります。そして、ご家族の方だと、自分の家族の当事者を仮想的と仮定して家族自身と戦っていることになります。
統合失調症は脳の病気です。僕は統合失調症の回復のコツはストレスをどれだけ回避できるかになると考えていて、脳にダメージが蓄積されると、睡眠の乱れや不安感・緊張感などのメンタルにダメージが来ます。睡眠の乱れや不安感・緊張感は再燃・再発の前兆という医学的な研究結果があるので、いかに自分の脳にストレスを与えないか、また、ストレスになることをどう蓄積させずに逃がせるかが回復のポイントになると考えています。
話を戻します。これらを踏まえて、自分と戦うことでストレスが逃がせると思いますか?戦う時って、凄くストレスになると思いませんか?僕は以前のブログで、最後の決まり文句として、一緒に療養生活頑張りましょう!と書いていた時期がありましたが、それはここのことをぼんやり頭の中で思い描いていたからです。
統合失調症は打撲のように物理的な外傷ではなく、精神疾患です。打撲のように、階段を上っていくように徐々に良くなっていく病気ではありません。良くなってきているように見える人悪くなっているように見える日が波のようにあって、1年後に「あ、1年前よりは良くなっている気がする!」と思えれば大成功という病気の回復の仕方をします。
ここでナラティブとリカバリーの話に繋がってくるのですが、心理学的な観点からナラティブアプローチという研究があって、人は自分が行った物事に後から意味づけをするという研究内容です。これを統合失調症のリカバリーに当てはめて考えると、よりパーソナルリカバリーが上手くいくのではないかと考えました。僕の経験や実際に合った出来事などから、統合失調症に絡めた考え方も載せていますので、興味がある方は読んでみてください。今回もですが結構文章量が多くなっていますので、余裕があるときにまったり読んでくれればなって思います!

①人格心理学の再定義
人格心理学における従来の枠組みの限界が指摘され、新たな統合理論としての視点が提示されています。従来の人格研究は主に特性論に依拠しており、外向性や神経症傾向といった比較的安定した行動傾向を測定することで個人を理解しようとしてきました。このアプローチは数量化と比較可能性に優れている一方で、個人が自らの人生をどのように意味づけているかという主観的側面を十分に捉えることができないという問題を抱えています。
この限界を踏まえ、マクアダムズは人格を三つの水準から捉える枠組みを提案しています。
第一の水準は特性であり、時間や状況を超えて比較的一貫して見られる行動や感情の傾向を指します
第二の水準は適応的特性であり、個人の目標、価値観、動機づけなど、より文脈依存的で可変的な心理的要素を含みます。これらは文化的・社会的環境の影響を受けながら形成され、人生の段階に応じて変化していきます。
第三の水準として提示されるのがライフストーリーです。これは個人が自らの過去、現在、未来を時間的に統合し、一貫した物語として構成する内的表象であり、ナラティブ・アイデンティティの中核をなす概念です。ライフストーリーは単なる出来事の記録ではなく、それらに意味と因果関係を与える解釈的枠組みである点に特徴があります。この物語的構成によって、個人は自己の連続性や一貫性を維持し、「自分とは何者か」という問いに対する答えを形成します。
この三層モデルにおいて重要なのは、各水準が相互に独立しているのではなく、相補的に機能する点です。特性は行動の一般的傾向を規定し、適応的特性は具体的な文脈における選択や行動を方向づけ、ライフストーリーはそれらを時間的に統合し意味づける役割を担っています。したがって人格の包括的理解には、これら三つの水準を統合的に捉える必要があります。
マクアダムズは特に、従来の心理学が第三の水準であるライフストーリーを軽視してきた点を批判しています。測定可能性を重視するあまり、主観的で語りに依拠する自己理解の側面が十分に研究されてきませんでした。しかし人間は経験を単に蓄積するのではなく、それらを物語として組織化し、意味づける存在です。この視点から人格を捉えることにより、個人の独自性や人生の文脈的理解が可能になると論じられています。
人格を「特性の集合」としてではなく、「意味づけられた人生の物語を含む多層的構造」として再定義することを目的としており、後続のナラティブ・アイデンティティ論の基盤を形成しています。
②ライフストーリーの概念|ライフストーリーの定義
本論文においてライフストーリーは、人格の第三水準として位置づけられる中核概念であり、個人が自己の人生経験を時間的に統合し、意味づけるための内的な物語として定義されています。これは単なる出来事の記録や記憶の集積ではなく、選択や解釈、再構成を通じて構築される動的な表象である点に特徴があります。
マクアダムズは、人が自己を理解する際には、過去の経験を因果的かつ主題的に結びつける傾向があると述べています。個々の出来事は単独で存在するのではなく、「なぜ起こったのか」「自分にとってどのような意味を持つのか」といった枠組みの中で再解釈されます。この過程において経験は物語的な構造を持つようになり、始まりや転機、結果といった時間的な流れを伴って整理されます。したがってライフストーリーは、出来事そのものよりも、それに与えられた意味や文脈によって特徴づけられます。
この概念において重要なのは、ライフストーリーが現在の自己理解だけでなく、未来への展望も含んでいる点です。人は過去の出来事を振り返りながら現在の自分を位置づけると同時に、これからどのように生きていくのかという方向性や目的を物語の中に組み込みます。このようにして形成される物語は、個人に一貫性と連続性の感覚をもたらし、アイデンティティの基盤として機能します。
また、ライフストーリーは固定されたものではなく、時間の経過や新たな経験に応じて更新される可変的な構造を持っています。人は新しい出来事に直面するたびに既存の物語を見直し、必要に応じて過去の意味づけを修正します。この再構成の過程によって、自己理解は維持されながらも柔軟に変化し続けます。そのためライフストーリーは、完成されたものではなく、継続的に編集される過程として理解されます。
ライフストーリーの形成には文化的文脈が深く関与しています。個人は完全に自由に物語を作るわけではなく、社会の中で共有されている語りの形式や価値観の影響を受けます。たとえば成長や克服、成功といったテーマは文化的に広く共有されており、個人はこれらの枠組みを参照しながら自らの経験を位置づけます。このようにライフストーリーは個人的な経験に基づきながらも、社会的・文化的な資源を用いて構成されるものです。
このように、ライフストーリーは個人の経験を統合し意味づける中心的な枠組みであり、自己の連続性や一貫性、目的性を支える構造として機能します。この概念は、人格理解において主観的な側面を不可欠な要素として位置づけ、従来の特性中心のアプローチを補完する理論的基盤を提供しています。
統合失調症になった直後は、「なぜ自分が統合失調症に・・・。」「なぜ自分ばっかりこんな目に・・・。」と、出来事に対する意味付けがネガティブなものになっている方が凄く多いです。そしてとある方で、それから9年たっても「昔はできたのに今はできない」と嘆いている人(①)と、「統合失調症になって、相手のことを思いやる気持ちができるきっかけになった」と言っている人(②)がいます。
①の人は統合失調症になっていなかった場合の自分の事をどんどん美化していって、「今頃もっとできるようになっていた」とまで考え始めています。統合失調症になっていなければ自分はもっとできることが多い人だったと、空想上の出来事を話し、統合失調症のせいで自分はできないと他の人にネガティブなことを繰り返し言っています。
一方で、②の人は、統合失調症になったことも踏まえて自分の成長につながったと考えています。今の辛い人のことを親身になれる自分がいるのは、統合失調症になったおかげだから、障害者たちに対する支援をする仕事をして、障害を持っても自分は輝けるんだと考えてほしいと、障害者に関する会社を設立して、社長をしています。
①の人のように、統合失調症になってから「病気にならなければこうだった」という事を考えたところで、病気自体が良くなるわけでもリカバリーが上手くいくわけでもないですよね。つまり、それを考えたところで何も解決しないんです。②の人のように、自分の人生という物語に統合失調症をプラスに働く意味付けをしていく事が大事だと考えています。
アニメ・漫画・ゲームなどをしたことがある人は分かると思いますが、主人公の前に困難が訪れ、それらが何かしらの障害になりますよね。そこで主人公がそれらと向き合て、葛藤して成長していく。そして、その葛藤があるから面白い。それらのおかげで面白いと思えるようなコンテンツになっている。それと統合失調症は同じような感覚です。ライフストーリーの中に、統合失調症という克服すべき困難が現れたとき、最初は葛藤していても、結果として自己成長できるようなストーリーを自分で作っていく事が大切です。
統合失調症になったことも含めて、自分の人生という物語をどういうストーリーストーリーにしていくかは、自分次第です。統合失調症は、できなくなったことができるようになったことを当たり前と考えずに成長と捉え、そう意味づけする。その繰り返しで、主人公(自分自身)が成長してくと考えています。
③ナラティブ・アイデンティティとは?
本論文における中心概念であるナラティブ・アイデンティティは、個人が自己の人生経験を物語として統合することによって形成される自己理解の枠組みとして位置づけられています。これは「自分は何者であるのか」という問いに対する答えを、時間的に連続した意味あるストーリーとして構成する働きを指します。
マクアダムズは、人格の第三水準であるライフストーリーが、単なる出来事の連結ではなく、自己に関する一貫した解釈体系であることを強調しています。この体系は、過去の経験の再構成、現在の自己の位置づけ、そして未来への展望を統合することによって成立します。そのためナラティブ・アイデンティティは、時間軸に沿った自己の連続性を確保し、統一された自己感覚を生み出す役割を持っています。
この構成において重要なのは、出来事の選択性と解釈性です。個人はすべての経験を同じように扱うのではなく、自分にとって意味のある出来事を選び出し、それらに意味づけを行います。特に人生の転機となる経験や自己を象徴する出来事は、物語の中で中心的な役割を担います。一方で、多くの出来事は背景として扱われたり、省略されたりします。このような選択と配置によって、物語には一定の主題や方向性が生まれます。
また、ナラティブ・アイデンティティは因果的なつながりを持つ構造として理解されます。過去の出来事が現在の自己にどのようにつながり、将来にどのような影響を与えるのかが、物語の中で説明されます。このような因果的理解は、単なる時間の順序を超えて、自己の経験に意味を与える重要な要素となります。
さらに、ナラティブには主題的な統合も含まれます。個人の物語には、成長、克服、喪失、再生といった繰り返し現れるテーマが存在し、それが自己理解の中心的な軸となります。これらの主題は個人の価値観や信念と深く関係しており、経験の解釈に一貫性をもたらします。
このような物語的構造は、心理的な適応とも関係しています。一貫性があり、意味づけがなされているナラティブは、安定した自己感覚を支えます。一方で、出来事が断片的で統合されていない場合や、意味づけが十分でない場合には、自己理解が不安定になる可能性があります。そのためナラティブ・アイデンティティは、単なる認知的な構造ではなく、心理的な機能を持つものとして捉えられます。
また、このアイデンティティは固定されたものではなく、継続的に再構成される過程的なものです。新たな経験や社会的状況の変化に応じて、個人は既存の物語を見直し、再解釈を行います。この柔軟性によって、自己は変化に適応しながらも連続性を保つことが可能になります。
このようにナラティブ・アイデンティティは、経験の選択、因果的な結びつき、主題的な統合を通じて形成される自己理解の枠組みであり、人格の深い水準に位置する統合的な構造として機能します。この概念は、人格を静的な特性の集合としてではなく、時間の中で展開される意味の体系として捉える視点を提供しています。
③で過去の経験の再構成、現在の自己の位置づけ、そして未来への展望を統合することによって成立します。とありましたが、僕は統合失調症になってできなくなったことがたくさんあります。そのうちの一つが覚える事です。僕は元々興味があることはすぐに覚えられるタイプでしたが、統合失調症を発病してからは興味があることでも覚えられなくなっていました。
今の僕は、覚えられないことを『本当は覚えられるとは考えていません』覚えられないものだと割り切っています。これは過去の経験の再構成を行っていると考えていて、現在の自己の位置づけは覚えることが苦手だけど、しっかり意識して気を付ければ覚えられることも結構出てきている。そして未来への展望は、統合失調症でも働いている自分です。
統合失調症になる前から社会人として働くことに憧れがあったので、やっぱりそこへの憧れは捨てきれていません。毎日のように、良くなったら絶対に働こうと自分の中で考えています。
④人の発達と文化の影響
本論文においてナラティブ・アイデンティティは、生まれつき備わっているものではなく、発達の過程の中で形成される心理的構造として位置づけられています。マクアダムズは特に青年期を、この形成において重要な時期であると述べています。この時期には、個人は自分の過去の経験を振り返り、それらを一つのまとまりのある物語として再構成する能力を発達させていきます。同時に、将来に対する見通しや方向性も考えるようになり、自己に対する統合的な理解が徐々に形成されていきます。
この発達には、認知的な能力の成熟が関わっています。抽象的に考える力や、時間の流れを踏まえて物事を理解する力が高まることで、個人は出来事を単に記憶するだけでなく、それらに意味を与え、因果関係の中で捉えることができるようになります。また、他者との関わりも重要な役割を果たします。人は他者との対話や社会的経験を通じて、自分についての語りを形成し、それを修正しながら発展させていきます。このような相互作用が、ナラティブ・アイデンティティの構築を支えています。
一方で、ナラティブ・アイデンティティは個人の内面だけで作られるものではありません。文化的な文脈が強く影響しています。人は自分の経験を自由に語っているように見えて、実際には社会の中で共有されている語りの形式や価値観を参考にしています。例えば、努力や成長を重視する文化では、困難を乗り越える経験が肯定的に語られやすくなります。このように文化は、どのような出来事を重要とみなすか、どのように意味づけるかに影響を与えます。
また、文化は「望ましい人生のあり方」についてのモデルも提示します。人はそうしたモデルを参考にしながら、自分の経験を位置づけ、物語を作っていきます。そのためナラティブ・アイデンティティは、その人固有のものでありながら、同時に社会的な影響を受けたものでもあります。自己は完全に個人的なものではなく、社会との関係の中で形づくられていると理解されます。
さらに、ナラティブ・アイデンティティは一度完成して終わるものではありません。人生の中で新しい経験をするたびに、既存の物語は見直され、必要に応じて書き換えられていきます。その過程では、過去の出来事の意味づけが変わることもあります。このようにナラティブ・アイデンティティは、固定されたものではなく、発達し続ける動的な構造として捉えられます。
このように、ナラティブ・アイデンティティは発達的な成熟と文化的な影響の両方によって形成されるものであり、個人の内面的な統合と社会的な適応の双方に関わっています。この視点は、人格を単なる性格の特徴として捉えるのではなく、発達と文化の中で意味づけられる物語として理解する重要性を示しています。
僕の経験上『人格を単なる性格の特徴として捉えるのではなく、発達と文化の中で意味づけられる物語として理解する重要性を示しています。』この事に関して、実際に思い当たる人が多いです。
僕は4月生まれなので、子どものころから他の人に比べて運動神経が良かったです。海外では9月が入学式ですが、日本では4月が入学式なので、3月生まれの人に比べると、約1年体の成長が早いことで、自分は運動神経が良いと感じていました。そして、それがきっかけで、小学生のころから運動ばっかりしていました。その影響でまた更に運動神経が良くなっていくといういいスパイラルだったと感じています!
しかし、僕がもし3月生まれだったとしたら、僕くらいなのであれば、恐らく自分の運動神経を良いと感じずにいたと思っています。逆に、3月生まれの人で子どものころから塾に行っていて、ものすごく勉強ができた人を知っています。これは親の教育方針で、体の発達の関係上、物理的に不利な運動の習い事より、努力次第で何とかなる勉強を子どもにさせていたのだと考えています。
発達と文化の話になりますが、子どものころ僕が他の人よりできると意味づけしていた運動は、日本の文化的に4月が入学式だから、他の人より有利な状態だった。そこに追加で自分の努力という発達があったから余計にできるようになったことだと感じています。
統合失調症において、発達の過程で統合失調症になった時に、周りの人の影響がどういうものなのか(これが文化にあたると考えています)。もし当事者自身にセルフスティグマがあって、統合失調症の自分を責めていたとしても、家庭環境や精神疾患でも気にしない人とつながることができれば、当事者自身も精神疾患であることを気にせず、前を向いていけるのかなと感じています。
⑤ストーリーパターン|心理的影響
⑤では、個人がどのようなライフストーリーを構成するかによって、心理的な状態や適応に違いが生じる点が論じられています。マクアダムズは、ナラティブ・アイデンティティが単なる自己理解の枠組みにとどまらず、感情や行動、さらには精神的健康にも影響を与える重要な要因であると位置づけています。
まず重要なのは、ライフストーリーには一定のパターンや構造が見られるという点です。個人の語りは完全に自由なものではなく、いくつかの典型的な展開やテーマに沿って構成される傾向があります。その中でも代表的なものとして挙げられるのが、困難や否定的な経験が最終的に肯定的な結果につながるとする構造と、逆に肯定的な出来事が否定的な結果へと変化していく構造です。前者は経験に意味や価値を見出す方向で語られ、後者は出来事の否定的側面が強調される形で語られます。
これらのストーリーパターンは、単なる語り方の違いではなく、心理的な適応と密接に関係しています。困難な経験を通じて成長や学びを見出すような物語は、自己に対する肯定的な理解を支え、将来に対する希望や目的意識を強める傾向があります。一方で、出来事が一貫して否定的に結びつけられる物語は、無力感や悲観的な見方を強化し、心理的な安定を損なう可能性があります。
また、マクアダムズは、ナラティブにおける一貫性や統合の程度も重要であると指摘しています。出来事が意味づけられ、因果的につながっている物語は、個人に対して安定した自己感覚をもたらします。それに対して、経験が断片的で統合されていない場合には、自己理解が不安定になりやすく、心理的な混乱が生じる可能性があります。このように、物語の構造そのものが心理的機能を持っていると考えられます。
さらに、ライフストーリーには主題的な特徴も見られます。例えば成長、親密さ、達成といったテーマは、個人の価値観や動機と関連しており、物語全体の方向性を形づくります。これらの主題がどのように組み込まれているかによって、人生に対する意味づけのあり方が異なってきます。主題が明確で一貫している場合には、自己理解はより統合されたものとなります。
このように、ナラティブ・アイデンティティはその内容だけでなく、構造やパターンにおいても心理的な影響を持っています。どのような物語を持つかによって、個人の感情や行動、将来への見通しが方向づけられるためです。そのため、ナラティブの分析は人格理解にとって重要な手がかりとなります。
以上の点から、本論文はライフストーリーのパターンや構造が心理的適応と深く関係していることを示し、ナラティブ・アイデンティティを動的かつ機能的な概念として捉える視点を提示しています。これは、人間を単なる特性の集合としてではなく、意味づけられた物語を生きる存在として理解するうえで重要な位置づけを持っています。
例えば成長、親密さ、達成といったテーマは、個人の価値観や動機と関連しており、物語全体の方向性を形づくります。ここに関してなのですが、僕は「統合失調症でもこれができた!!」というものの繰り返しで、パーソナルリカバリーが上手くいくと考えています。
統合失調症だと、どうしてもできないことやできなくなったことに目が行きがちですが、一旦深呼吸しましょう。当事者もご家族も、それはできないものとして捉えなおします。そして、それらがまた出来るようになった時に、初めてできるようになったのと同じように「できた!!」と感じることが大切です!!(/・ω・)/
そもそもなのですが、統合失調症は今までできたことが出来なくなる病気なので、出来なくなるのは一般的なことですが、出来るようになるのは個人差があって一般的ではないんです!
「3日連続で朝の7時に起きれた!!」とか「体調不良の時にしっかり休めた!!」など、少しずつ「できた!!」を増やしていく事が物語全体(人生)の方向性を形づくると考えます!
健常者の当たり前は統合失調症の当事者の当たり前ではありません。健常者と同じようにできることがあったら、しっかり自分を褒めることも大事だと感じます!
⑥ナラティブ研究の意義|結論
⑥では、ナラティブ・アイデンティティという視点が人格心理学全体にどのような意義を持つのかが論じられています。マクアダムズは、従来の心理学が主に特性や行動の測定に依拠してきたことを踏まえつつ、それだけでは人間理解として不十分であると指摘しています。数値化可能な側面は確かに重要ですが、それだけでは個人がどのように自分の人生を意味づけているのか、どのような文脈の中で生きているのかを十分に説明することはできません。
この点においてナラティブ研究は、主観的経験や意味づけを中心に据える新たな視点を提供します。人は出来事を単に経験するだけではなく、それらを物語として整理し、因果関係や価値を与えながら理解しています。このような語りの構造を分析することで、その人がどのように自己を捉え、どのような世界観を持っているのかを把握することが可能になります。したがってナラティブ研究は、個人の内面的な現実にアクセスするための重要な方法であると位置づけられます。
また、この視点は人格心理学の方法論にも影響を与えます。従来の量的研究に加えて、語りの内容や構造を分析する質的研究の重要性が高まります。インタビューや自伝的語りの分析を通じて、個人のライフストーリーを理解する試みが求められます。これにより、数値だけでは捉えきれない個人の独自性や文脈が明らかになります。
さらに、ナラティブ・アイデンティティの概念は、人格を静的なものではなく、時間の中で形成され続ける動的なプロセスとして理解する枠組みを提供します。人は新しい経験を重ねる中で、自らの物語を見直し、再構成していきます。このような継続的な変化の過程を捉えることで、人格の発達や変容をより深く理解することが可能になります。
マクアダムズはまた、ナラティブ研究が他の心理学領域や関連分野との統合にも寄与する可能性を示唆しています。発達心理学、臨床心理学、社会心理学などの領域において、物語という共通の視点を通じて知見を結びつけることができると考えられます。これにより、人間理解はより包括的で多面的なものとなります。
以上のように、本論文はナラティブ・アイデンティティを人格理解の中心に位置づけることで、心理学に新たな理論的枠組みと方法論的方向性を提示しています。人格を意味づけられた人生の物語として捉えるこの視点は、人間をより深く理解するための重要な手がかりとなるものです。
僕はこの論文を通して、人生のナラティブ(物語)というものを大事なパーソナルリカバリーの考え方の一つとして捉えました。健常者だったとしても、生きている限り乗り越えなくてはならない壁にぶつかることは必ずあります。例えば、学生の受験や社会人のスキルアップなど。健常者でも楽して生きることはできないものだと考えていて、統合失調症は僕にとって、乗り越えないといけない壁だと感じています。
それを乗り越えてこそ、僕の物語(人生)が最高に良いストーリーになるとも考えていて、いつか健常者が経験できないような経験をしたことを、良い人生経験だったと思えるような日が来ると良いなって思っています!
参考文献
Dan P McAdams
The Psychology of Life Stories(2001)


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